二人が目にしていたニューヨークの景色とは….。 現地在住歴20年、バナナフィッシュを読んだことがきっかけで渡米を決意した筆者による、聖地めぐり後編。(前編はこちら)
マンハッタン対岸の桟橋
「自分の巣くってる場所がどんなところか見たくなる時に」アッシュは、マンハッタン対岸の桟橋の端から摩天楼を眺める。英二を連れてきたアッシュは、マンハッタンの風景に背を向け、ヘミングウェイの短編小説「キリマンジャロの雪」に出てくるヒョウの屍の話を英二に語り始める。
作中描かれているのは角度的にニュージャージー側の対岸かもしれないが、アッシュたちが見ていたマンハッタン南端の風景はブルックリンの川沿い、ブルックリンブリッジパークの遊歩道から眺められる。
昔は主に貨物船の停泊する商用港として使われ、一般向けに開かれた場所ではなかったようだが、ちょうど1980年代頃から、マンハッタン対岸のこのエリアの都市開発計画が進み、2000年代にかけて徐々に公園やレジャー施設を備えたランドマークに生まれ変わった。
アッシュが生きていた80年代のニューヨークは犯罪都市ではあったけれど、水面下で都市開発やマフィアの掃討作戦を進め、着実に安全なニューヨークの町を目指して歩を進めていた時代とも言える。
アッシュと英二が対岸に見た摩天楼には世界貿易センタービルのツインタワーが象徴的にそびえていたが、もちろん今はもうない。
雪山の山頂近くで孤独死したヒョウと自分を重ねたアッシュは、英二から「君はヒョウじゃあない。そうだろ」と生きる希望を与えられ、摩天楼の風景に向き直る。英二がいることで、目の前に広がるマンハッタンのジャングルで生き抜くのも悪くないと思い直すことができたのかもしれない。
59丁目のマンション
ゴルツィネから横取りした5000万ドル(約68億円)で、アッシュはマンハッタン59丁目に超高級マンションを買い、英二を連れて移り住む。敵に狙われ危険だからとアッシュに外出禁止令を出された英二は専ら“主夫”としてアッシュを支え、いつかすべてが終わったら一緒に日本に行こう、と約束した。
「窓からセントラルパークが見える」59丁目の物件となれば、住所はマンハッタンの中でも最も家賃が高いと言われるセントラルパークサウスでほぼ間違いない。
参考までに、2021年4月時点でのセントラルパークサウスの住宅価格の中央値は、持ち家で260万ドル(約3億5000万円)、賃貸で月6800ドル(約90万円)とのこと(ニューヨークの住宅情報サイト「Steeteasy」ブログより)。ただし2022年7月現在の物件リストをざっと見ると、賃貸で月数千ドルというのは一人暮らし向けの格安物件のようで、部屋数や間取りに余裕がある物件となると安くて月2万ドル(約270万円)、高いもので月8万ドル(約1100万円)あたりが相場のよう。
アッシュの家はリビングと広めの寝室、それに英二が暗室として使っていた部屋と、少なくとも3つ部屋があり、しかも「マンハッタンで最高の眺め」という折り紙付きなので、月10万ドルクラスの超ラグジュアリー物件に違いない。
59丁目をはさんだ向かいには自然豊かなセントラルパークという最高の立地であることは、今も80年代当時も変わらない。こんな目と鼻の先に素敵な公園が広がっていながら英二は散歩ひとつさせてもらえなかったというのは、ある意味拷問?
セントラルパーク前に、アッシュと英二もよく利用したホットドッグスタンドが。観光地を中心にマンハッタン中にこのスタンドがあり、「アメリカンなっとうドッグ」ならぬチリビーンズトッピングのホットドッグももちろん注文できる。味の評判ははっきり言ってとても悪いのだが、話のタネなのか客入りは悪くない。
アッシュの部屋からは通りを挟んでゴルツィネのオフィスが見えるということで、別のビルのオフィスが見える建物となると、場所はだいぶ絞られる。筆者があたりをつけたのが、6番街と59丁目の角の建物なのだが、その名も「トランプ・パーク・イースト」。ドナルド・トランプ前大統領の会社「トランプ・オーガニゼーション」の所有物件だった。
実は1980年代前半、前のオーナーからこのビルを購入したトランプ氏が、古い入居者を強制退去させようとして住人から大反発を食らうという騒動があったらしい。当時からお騒がせぶりを発揮していたトランプ氏だが、わずか数ブロック先のコロンバスサークルにはトランプ・インターナショナル・ホテル、5番街の57丁目にはトランプタワーと、トランプ〇〇という物件はマンハッタン中に点在する。
1980年代のニューヨークに王者として君臨した人物には、アッシュ・リンクスもそうだがドナルド・トランプもいたのだと、ふとそんなことを考えてしまった。
スタテンアイランドフェリー
ニューヨーク市スタテンアイランド区とマンハッタン区南端を結ぶ無料の通勤用フェリー。アッシュと英二は、バナナフィッシュの謎を記者の立場から追う戦友、マックスに会うため、スタテンアイランドフェリーに乗ってマンハッタンを出る。結局、アッシュが船上で狙われていると察知し引き返すことになるのだが、2人のニューヨーク観光のちょっとした記念になった。
スタテンアイランドフェリーの歴史は古く、ニューヨーク市が運営を開始したのが1905年、それ以前に民間会社が運営した時代を含めると、1817年にさかのぼる。本来は通勤客の足としての役割が主だが、航行中にマンハッタンの高層ビル群や自由の女神が眺められることで、昔から観光目的の乗客も多い。
フェリーには4000~5000人が乗船可能だが、平日の昼間でもガラガラにはならない程度にそこそこ人が乗ってくる。アッシュと英二が乗ったときも甲板から風景を眺めるカップルがいたり、座席で新聞を読むおじさんがいたりしたが、実際まさに乗船目的は人それぞれ、といった感じ。
ちなみに現在は無料だが、アッシュたちが利用した1980年代後半は往復25セントの運賃がかかった。とはいえ当時地下鉄が片道約1ドルだったので、その4分の1とは相当割安だ。
航行ルートからは自由の女神がかなり近い距離に見える。女神の前を通り過ぎる中アッシュが話し始めたのは、幼いころ蒸発した母親のこと。感傷を隠し切れないアッシュに英二は、お母さんは君の名前をつけるとき一生懸命考えたはず、と諭す。アッシュの本名「アスラン」には夜明け、ミドルネーム「ジェイド」には翡翠、という意味があるそうだ。(実際「Aslan」をググると真っ先に“ライオン”と出てくるのだが)
女神像の近くを通りすぎ、再び遠ざかっていくときに2人が見ていたのも、こんな風景だったのだと思う。
ところで、2人が会いに行ったマックスはロングアイランドにいるはずなのだが、ロングアイランドはマンハッタン東の対岸、ブルックリンやクイーンズのさらに奥で、南に位置するスタテン島とは全く方向が違う。しかもスタテン島とロングアイランドに行くにも2か所を結ぶ陸路はベラザノ=ナローズ・ブリッジという橋しかなく、交通の便もはるかに悪い。アッシュたちは観光を楽しんだと満足したようだが、そもそもなぜスタテンアイランドフェリーに乗ったのかはBANANA FISHの小さな謎だ。
ニューヨーク市立公共図書館
最後はやはりマンハッタンの中心にあるニューヨーク市立公共図書館。2人の思い出を語る上でなくてはならない場所。アッシュが勉強するときや「一人になりたいとき」によく訪れ、英二もたびたびアッシュの調べ物を手伝わされた。
42丁目と5番街にある図書館入り口。1911年の開館以来、老朽化による改修工事は何度も行われているが、外観も内観もほぼ当時のまま。
100年以上前から門番を続けるライオン像にとって、しょっちゅう通りかかるアッシュを見ていたのはつい最近のことだろう。
2022年現在、飲食物や液体の館内持ち込みは厳禁で、入り口では警備員が手荷物をチェックする。アッシュが最後に図書館に来た日、建物を出てラオに刺されたときに銃で撃ち返しているので、おそらく館内にも持ち込んでいたと思われる。飲食物も液体も持っていないが拳銃を持っているとは、警備員もまさか思わなかった…?
観光客も多く訪れるが、本来ここは勉強したい利用者のための“リサーチライブラリー”。なので、基本的に書物のある部屋にはアッシュのようにお勉強をしに来た人しか入れない。
アッシュがよく使っていた建物3階のローズメインリーディングルーム。1980年代当時は単にメインリーディングルームという名前だった。利用者はほとんど読書や勉強に没頭していてまさに静寂そのもの。アッシュにとって居心地が良かったのもうなずける。
棚にはバナナフィッシュの謎解明の参考になりそうな「オックスフォード大編・薬物の歴史ハンドブック」「北米の植物辞典」「精神疾患の百科事典」といった分厚い専門書も並ぶ。
実はさらに奥には研究者向けの予約限定の資料室がある。アッシュが英二に資料集めを手伝わせ「必要なところだけを読む」と効率の良いお勉強法を伝授した部屋はこちらと思われるのだが、残念ながら撮影NGだった。
“どんなに遠く離れていても君はぼくの最高の友達だ――”
日本への帰国直前に書いた英二の手紙を読みながら、アッシュは静かに息絶える。満足気な笑みを浮かべた最期の表情は、スタッフが「いい夢みたいね」と勘違いするほどおだやかだった。
“漫画史に残る名場面”と言われるそんなラストシーンが生まれたのもリーディングルーム。わき腹を刺され瀕死のアッシュは図書館に戻り、手紙を読み返す。アンティークな椅子も机も、きっとアッシュが最期に座った当時のままだろう。アッシュの血と涙の滲んだ英二の手紙が、ふと机の上に見えてきそうになる。
アッシュ・リンクスの人生を締めくくるのは、やはりここでなければならなかったのだと思う。
8歳でレイプされて故郷を逃げ出し、マンハッタンの喧噪の中に身を置いた。常に銃を携帯し、マフィア、警察組織、華僑の財閥、傭兵とあらゆる支配者の襲撃に備えた。周囲のノイズに翻弄され自由を奪われ続けたアッシュには、窓越しの光が優しく注がれる静かな空間で、束の間の安らぎを与えてくれた英二との日々を思うことが最高の幸せだったのだろう。(完)