中国人労働者の移住を禁止した「中国人排斥法」の廃止からちょうど80年目を迎えた17日、バイデン大統領は、被害を受けた人々を偲ぶとともに、差別やヘイトは決して消えることがないと強調した。
バイデン氏は声明で「我々は平等に生まれ、平等に扱われるべきだという基本的な考えの上に米国は築かれた」が、「中国人排斥法はこの約束を果たさなかった」と説明。「この記念日に、取り返しのつかない被害を受けた人々、家族、地域社会を追悼する」「フレデリック・ダグラスからブランチ・ブルース、パール・バック、アメリカ・ユダヤ委員会など多くの勇敢で多様な声を記憶している。彼らは法律に連帯して反対し、公平で公正な移民制度を要求した」と述べた。
一方で、「進歩にも関わらず、ヘイトは決して消えないことを認識している。隠れるだけだ。今日もなお移民を悪者扱いして、不寛容の炎を焚き付ける人々がいる」と指摘。「これは間違いだ。私はアメリカのソウルを取り戻すために大統領に立候補した。人々を束ね、ヘイトに逃げ場などないことを確実にするためにだ」と、決意を改めて表明した。
1840~50年代、ゴールドラッシュと鉄道建設に沸く西部で仕事を求める中国人労働者が急増した。それに伴う反中感情の高まりは、チェスター・アーサー大統領の署名によって成立する「中国人排斥法(1882年)」へとつながっていった。
中国人労働者の移住を10年間禁止するというもので、特定の民族の労働者集団の入国を禁じる内容が、連邦法に初めて刻まれた。
バイデン氏が言及したフレデリック・ダグラスは、メリーランドの農場の奴隷として生まれ、後に奴隷制廃止運動に指導的役割を果たした。中国移民を擁護した1867年にボストンで行った「複合国家」と呼ばれる演説では、移住の権利を含む人権は特定の人種に属さず、すべての人々に共通で平等だと主張。制限論者たちやその祖先が主張した「偉大な権利こそが、私が中国人と日本人、そして他のあらゆる人種のために、あなた方と同様にこれからずっと主張するものである」と唱えた。また、米国に移住を望む意思そのものが、有益な貢献を果たすことを示唆するものであるとも主張。「中国人や他の国々が来たいと望んで来ているという事実は、彼らが向上可能で、来るのにふさわしいことの証拠」「中国人を来させよう。彼は国家の富を増やすのに役立つだろう。底知れぬ資源を開発するのに役立つ。国債を返済するのに役立つ…」と説いた。
中国人排斥法は当初、有効期間を10年間とされたが、その後延長され、1943年まで存続した。
なお、トランプ前大統領は、就任翌月の黒人歴史月間で、ダグラス氏は「すばらしい仕事をしており、ますます認識されている一例」と語った。曖昧な文言に、ネットでは知らないのでは?といった意見や、まだ生きていると思っているんじゃないかとの説が浮上した。