イーロン・マスクの敬礼ポーズをめぐる騒動は今週もおさまる気配はない。
20日のトランプ氏の大統領就任式の日、首都ワシントンのCapital One Arenaで開かれたイベントに登壇したマスク氏は、トランプ支持者らに感謝を述べるとともに、右手で左胸を叩き、手のひらを下に向けて真っ直ぐに突き出すジェスチャーで応えた。後ろの観客にも同じ仕草をした後、「心から感謝している。文明の未来を保証してくれたことへの感謝だ」と述べた。
数秒の出来事だが、マスク氏の仕草の解釈をめぐって左派と右派に割れる論争に発展している。
民主党の重鎮、ジェロルド・ナドラー下院議員(ニューヨーク)はXの投稿で「大統領紋章の後ろでハイルヒトラー敬礼のような仕草が行われる日を迎えるなど、想像すらしなかった」と衝撃を述べ、「われわれの社会にこの不快なジェスチャーの居場所はない。人類の歴史の最もダークな章に属するものだ」と非難。ドイツのラウターバッハ連邦保健大臣は、マスク氏を政治家とみなしていないとしつつ、右翼ポピュリストとの親交を考えると「すべての民主党員に懸念を抱かせるものだ」と語った。
一方、マスク氏のサポーターらは、「イーロンは古代ローマに夢中なんだ。あれはローマ式敬礼だ」「イーロン・マスクはローマ式敬礼をしたんだ。ナチス敬礼とは違う」と擁護。HBOのテレビドラマ『ローマ』のワンシーンを投稿するなどした。
マスク氏本人は、一連の非難を反対派により「汚いやり口」と一蹴。「なんでもヒトラー攻撃は、ひじょーにつまらない」と反論している。
ローマ式敬礼の起源
そもそも、古代のローマ人がそのような敬礼を使用していた証拠はないという。
ジョージ・メーソン大学のマーティン・ウィンクラー古典学教授は、ニューヨークタイムズに「現代の発明」だと語っている。
古代ローマやギリシャ、エジプトを舞台にした歴史物の劇やサイレント映画で使用され、認識されるようになったもので、無声映画にありがちなドラマチックで大げさな演技だと指摘している。
アートの世界では、フランス革命時代の画家、ジャック=ルイ・ダヴィッドによる「ホラティウス兄弟の誓い」にその起源を見ることができる。1784年の作品で、ローマ史初期にホラティウス3兄弟が敬礼をしてライバル都市アルバの攻撃から共和国を守るという誓いを立てる様子が描かれている。
ムッソリーニ、そしてヒトラーへ
いわゆるローマ式敬礼がファシズムと結びつくようになったのは、1919年にイタリアの詩人で国粋主義者のガブリエーレ・ダンヌンツィオが第一次世界大戦の退役軍人らを率いてフィウーメ市(現在のクロアチア領のリエカ)を占領した時に遡るという。
ダンヌンツィオは15ヶ月間続いた占領期間に、古代ローマに由来すると主張するジェスチャーやシンボルを確立し、その中にローマ式敬礼も含まれていた。古代ローマやギリシャに心酔していたというダンヌンツィオは、占領前、それらにインスピレーションを得た数々の演劇や詩を創作していた。古代ローマを舞台にした1914年の無声映画『カビリア』の脚本を手掛けたとされる。
ダンヌンツィオのローマ式敬礼は1922 年に権力を掌握したイタリアのファシスト独裁者ベニート・ムッソリーニによって採用され、その後ヒトラー率いるナチス党が1926年にこれを採用し、ドイツ式敬礼と呼んだ。第三帝国では政府職員はドイツ式敬礼を義務付けられ、国民も体制に忠誠を示すために使用するよう圧力をかけられた。
ドイツの刑法では現在、ナチスのスローガンや敬礼を含むジェスチャーを使用した場合、罰金または3年の禁錮に処されるという。
ヒトラー後、ローマ式敬礼はネオナチによって引き継がれて行った。こうしたグループは北米やイギリス、ヨーロッパ、オーストラリアなどいたるところに存在する。
マスク氏の意図はどうであれ、極右グループ界隈は特定のメッセージとして受け止めているようだ。米国の非営利組織、南部貧困法律センターによると、スウェーデンの白人至上主義ファイトクラブ「ジムXIV」のテレグラムチャンネルではマスク氏の敬礼を「われわれが西側で異なる道に入りつつあることを明確に示す」「強力な象徴」と呼び、米国のネオナチグループ、ブラッド・トライブのリーダー、クリストファー・ポールハウスはテレグラムで「これが間違いかどうかは気にしない。涙を流して楽しむつもりだ」と投稿している。