ハーバード、プリンストン、イェールに同時合格:ビル・ゲイツがとった方法とは

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ハーバード大学を中退し、友人と立ち上げたマイクロソフトを世界最大の企業へと導いたビル・ゲイツ氏(69)。2月に発売した回顧録『Source Code: My Beginnings』で、アイビーリーグ3校から入学を許可された体験を明かしている。

高校生にして企業向け給与ソフトの開発や学校スケジュールのデジタル化を依頼されるほどの能力を発揮していたゲイツ少年だが、当時はまだ世界初の商用マイクロプロセッサが発表されたばかり。ソフトウェアの未来が「未知数」だったため、「バックアッププラン」として自身の好奇心を満たす別の道のりを探った。

そこで、大学入学のための出願書類では、学校ごとに異なる自分を演じてみせた。

「願書を記入するにあたって、私は自分のペルソナを実験的に変えてみた。演劇の授業で学んだようにそれぞれが一つの演技だった。一人の俳優が三役を演じるように」。

ハーバード大学に提出した600字のエッセイでは、コンピューターの経験を余すことなく詰め込み、「コンピューターを使った仕事は、多くの楽しみを得て、お金を稼ぎ、そして多くのことを学ぶ素晴らしい機会であることが証明された」とアピール。しかしながら、「この分野に集中し続ける計画はない。現在、私はビジネスまたは法律に最も興味がある」と締めくくった。

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プリンストン大学には、コードのサンプルを提出し、数学の成績を強調。「ソフトウェアの書き方を知っているエンジニアになりたい」と述べた。

一方、イェール大学には、議会のアルバイトの経験を強調し、「ボーイスカウトへの愛と演劇への探究心」を際立たせた。

当時ワシントン大学に通っていた未来のマイクロソフトの共同創業者、ポール・アレン氏は、大学の休暇を延長して、ゲイツ氏とともに「インテルが最近開拓したマイクロプロセッサの新しい世界」を見据えた事業をスタートさせたいと考えていたという。

結局3校から入学許可を勝ち取ったゲイツ氏は、アレン氏の説得を振り切って、ハーバード大学に進学することを選択する。進学の理由について、アレン氏の計画は大学を諦めるほどの大きな機会だと思わなかったとしつつ、「より広くから集まる頭の良い子供たちに対して、自分が匹敵するか確かめてみたいと思っていた」と語っている。