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「追悼の光」米同時多発テロ犠牲者を悼む2本のライト

世界貿易センター(World trade Center)跡地付近から放たれる、光のインスタレーション「追悼の光」(The Tribute in Light)が、9月11日と12日の2日間にわたりライトアップされる。

追悼の光は、米同時多発テロ発生から半年後の2002年3月11日に、航空機の突入によるビル倒壊で亡くなった約3000人を追悼するために、初めて点灯した。
当初は、期間限定の予定だったが、その後も、毎年9月11日に実施されている。

光は88個のサーチライトから成り、6.5km(4マイル)上空までを照らす。「ツインタワー」が再現した2本の光は、好天の日には、約100km(60マイル)遠方から見ることができる。

「追悼の光」誕生秘話

追悼の光のプロジェクトは、NPO団体「ミュニシパル・アート・ソサエティー」(Municipal Art Society)と「クリエイティブ・タイム」(Creative Time)の後援により、建築家のジョン・ベネット(John Bennett)氏と、グスタボ・ボネヴァルディ(Gustavo Bonevardi)氏、アーティストのジュリアン・ラバーディエール(Julian LaVerdiere)氏、ポール・マヨダ(Paul Myoda)氏、ライティングコンサルタントのポール・マランツ(Paul Marantz)氏によって実施された。

PEOPLEによると、デザインを担当したラバーディエール氏とマヨダ氏は、ワールドトレードセンターのタワー最上階に生物発光ビーコンのインスタレーションを設置するため、事件発生前の数ヶ月間、ノースタワー内の91階の部屋を借りていたという。

事件が起こった際、「信じられなかった。すぐに中にいた人のことを思った。」とマヨダ氏は述べている。また、その日の夜、ブルックリンからタワーの方を見ていたラバーディエール氏は、「ツインタワーは、自分たちの所在を把握する目印でもあった。」と述べ、倒壊で巻き上がった煙の後ろには「まだビルが建っているかのように感じた。」と語っている。

翌日、2人のプロジェクトを取材していたニューヨーク・タイムズ・マガジン(The New York Times Magazine)の編集者から、今回のテロ攻撃に関して、次号で掲載するビジュアルを制作するアーティストを探していると連絡があった。

仕事を引き受けた2人は、タイムズの写真家フレッド・コンラッド(Fred Conrad)氏が、テロ攻撃の翌日に撮影したロウアーマンハッタンのスカイラインの写真に、2本の光の柱をフォトショップで描いた。

編集者はその作品を大変気に入り、9月23日号の表紙を飾ることとなった。発行された雑誌は、あたかもライトを設置して撮影したかのようなビジュアルとなった。写真は、爆発の写真とは対照的なイメージであったため、多くの人が肯定的な反応を示したという。

2人のデザイナーは、状況が落ち着いたら、イメージではなく、実世界のインスタレーションにしようと考え、建築家らとのプロジェクトチームを結成した。
9/11の犠牲者の家族らとの計画の話し合いの中で、作品の名前は「Tribute in Light」に決定した。

当時のニューヨーク市長、ルドルフ・ジュリアーニ(Rudy Giuliani)氏は、光のカラーをホワイトから、合衆国の国旗の赤、白、青にして欲しいとリクエストがあったが、2人はテロで亡くなった人の国籍は、90カ国以上だとして、要請を断ったという。

光の色は折り合いがつかず、インスタレーションの公開は、次期市長のマイケル・ブルームバーグ(Michael Bloomberg)氏の就任式以降にずれ込んだ。

ラバーディエール氏は、光が点灯するまで、見た人が怒らないか、この光が人を癒するこができるか確信を持てなかったという。
マヨダ氏は、初めて点灯した時の様子を「私が目撃した中で、最も静かで穏やかなイベントだった。」と語る。6ヶ月間現地で作業を行っていた建設労働者の1人は、「みんな再び空を見始めることができた。」とアーティストに述べたという。

2人は「当時、多くのヘイトや怒りが存在していたが、作品は追悼と平和のシンボルだ。」と述べている。「このトリビュートは、決してアメリカを象徴するものではなく、失われた命を象徴するものだ。命には国境はない。」とPEOPLEに語った。

自然環境への配慮も

追悼の光の中に囚われた渡り鳥が、方向感覚を失い墜落するなどの被害を受ける報告が相次いでいる。そのため、鳥を光の中から解き放つよう、一定時間消灯される。

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