アンディ・ウォーホル回顧展 ホイットニー美術館でスタート

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ホイットニー美術館(The Whitney Museum)では12日より、ポップアートの巨匠、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)(1928-1987)の回顧展「Andy Warhol — From A to B and Back Again」がスタートした。

同エキシビジョンは、1989年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された回顧展以来、過去最大規模となる。ホイットニー美術館にとっては、2015年に現在のガンズボート・ストリート(Gansevoort Street)に移転して以来、単独のアーティストに焦点を当てた展示会としては、最大規模となる。

展示作品は、ピッツバーグからニューヨークに移り、1950年代に商業イラストレーターとして活躍した時期から、60年代のアイコニックなポップアートやポートレイト作品、80年代の晩年の作品まで約350点を紹介する。International Initiativesの副部長でシニアキュレーターのドナ・ディ・サルヴォ(Donna De Salvo)らがキュレーターを務めた。展示期間は2019年3月31日まで。

1949年 商業イラストレーター時代

ピッツバーグのカーネギー工科大学(Carnegie Institute of Technology)を卒業後、1949年夏にニューヨークに移り住んだウォーホルは、商業イラストレーターとして成功を収め、ファッション業界を中心に、米CBSテレビ、チバ製薬など幅広い業界でデザインを手がけた。多才で創造性に溢れたウォーホルの素早い理解や反応、フィードバック能力は、理想的なコラボレーターだったという。自身が手がけたシューメーカーの「I. Miller and Sons」のキャンペーンでは賞に輝き、大成功を収めている。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
©mashupNY

[下]商業デザインと並行して、自身の作品も手がけ、1956年には、ファッションソーシャリスト、雑誌編集者、アートディレクター、女優、俳優、作家などを擬人化した一連のゴールドシューズコラージュ作品を発表した。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
©mashupNY

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初期の作品のコーナーには作家トルーマン・カポーティ(Truman Capote)の手や肖像画を描いたドローイングも数多く展示されている。ウォーホルは熱心なカポーティファンで、ニューヨークに引っ越した後、ファンレターを送り、毎日のように電話をかけたという。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
Truman Capote, c. 1956©mashupNY

1960年初期 ハンドペイントポップ

ウォーホルは1960年代初期、新聞のフロントページ、コミック、広告などを題材としたペイティングを作成する。この頃、ロザリン・ドレクサー(Rosalyn Drexler)や、ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein)、クレス・オルデンバーグ(Claes Oldenburg)、ジェームス・ローゼンクイスト(James Rosenquist)らが、戦後アメリカのシンボルや兆候の探求を始めた。後に「ポップアート」(Pop art)と呼ばれるムーブメントを作り出す。この頃、抽象表現主義のアクション・ペインティングの時代が終わりを迎えようとしていた。

Superman, 1961©mashupNY

[上]「Superman’s Girlfriend Lois Lane」を題材とした「スーパーマン」(1961)。スーパーマンを含む幾つかの作品は、高級百貨店ボンウィット・テラー(Bonwit Teller)のディスプレイとして使用された。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
左: 129 Die in Jet, 1962 右:Before and After [4], 1962©mashupNY

1960年代 機械的複製

ウォーホルは、1950年代に広告制作で使用した複製技術(ブロットライン、ラバースタンプ、ステンシル、オーバーヘッド・プロジェクター、フォトスタット複写機など)をアートに取り込み、商業美術とファインアートを結びつける可能性に道を開いた。

ドル紙幣や、スープ缶、コークのボトル、スーパーのパッケージなどを題材に、リピートや微妙な表面の変化、異なる色のコンビネーションで作品を作り上げた。印刷中にスクリーンの圧力を変化させることで、多様な効果を生み出したという。

ウォーホルは、日常の中にインスピレーションを見出した。現代絵画と彫刻、広告における視覚的戦略の間の類似性を把握する、稀な能力を有しており、本来のアートとして見なされるものを直感的に見抜くことができたという。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
LEFT: Green Coca-Cola Bottles, 1962 ©mashupNY

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
©mashupNY
©mashupNY

1960年代 シルバースクリーン

1962年には、シルクスクリーン(Screen printing)を使用し、写真イメージを直接キャバスに印刷した作品でさらなる成功をおさめる。
初期の作品には、ウォーレン・ビューティ(Warren Beatty)、マリリン・モンロー(Marlon Brando)、トロイ・ドナヒュー(Troy Donahue)、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)、ナタリー・ウッド(Natalie Wood)、エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)などのハリウッドスターのイメージを使用した。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
Triple Elvis [Ferus Type], 1963 ©mashupNY

ウォーホルは、主題の選択と作品化のタイミングを非常に重要視していたという。マリリンモンローの作品は、薬物過剰摂取で死亡した直後に制作され、エリザベス・テイラーの作品は、映画『クレオパトラ』の撮影中に不倫や健康不安が発覚した際に作られた。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
©mashupNY

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
Silver Liz (diptych), 1963©mashupNY
アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
Ethel Scull 36 Times,1963
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1963年 死と惨事

ウォーホルは、ライフやルック、タイムなどの雑誌に掲載された自殺や車の事故、電気椅子、警察による暴力、薬物中毒などの写真を作品化し、1960年代アメリカの災害や犠牲者、社会的矛盾を表現した。

作品の中には、写真家チャールズ・ムーア(Charles Moore)が、1963年5月にアラバマ州バーミンガムで撮影した白人警察による暴力に対する、アフリカ系アメリカ人の公民権抗議活動の写真「Mustard Race Riot, 1963」も含まれる。

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アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
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[下]1963年のジョン・F・ケネディ暗殺事件もウォーホルの関心ごとの一つだった。JFKや、ジャクリーン・ケネディ、ウォーレン委員会のレポートや狙撃犯のオズワルドなども作品となった。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
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1964年 最重要指名手配人

ウォーホルが関心を持った題材の一つとして、肖像画がある。有名人だけでなく、犯罪者、友人、恋人、企業の社長、自分自身も肖像画として作品化した。これらは、演技がかったフォトブース写真や、逮捕時のマグショットなど通常のポートレートとは異なる。

Most Wanted Men (1964)©mashupNY

[上]1964年クイーンズで開催された万国博覧会で、ニューヨーク市警察が発行した小冊子「The 13th Most Wanted」の写真を題材に製作したパブリックアートプロジェクト「Most Wanted Men (1964)」。
凶悪指名手配犯をテーマとした上、同性愛者の映画シリーズ「The Thirteen Most Beautiful Boys (1964–66)」が同時に製作中だったため、作品は物議を醸し、万博開催前に取り除くように命じられた。最終的にはシルバーカラーで上塗りされた。

1964年 フラワー

1964年から制作し始めた一連のフラワー作品は、雑誌に掲載された4つのハイビスカスの花を使用した。無数のカラーコンビネーションと様々なサイズで、500枚以上のシルクスクリーンプリントを行った。これらの作品の中に、消費者文化の中のオプション(S、M、L、XL)や、芸術史の中のテーマとバリエーションのアイデアを反映させた。パリとニューヨークで1964年と1974年に企画展が開催された。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
Flowers, 1964©mashupNY

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
Flowers, 1964©mashupNY

1963年-1968年 映画

1963年から1968年にかけて何百作品もの映画を製作している。アンダーグラウンド映画、ハリウッド、ドキュメンタリー、ポルノ、アヴァンギャルド(前衛映画)、実験演劇、ポートレート、ミニマリズムなど、幅広いジャンルとスタイルで製作した。アクシデントや偶然性、不完全性の概念を取り入れ、映画に新たな定義を構築していると言われる。

ソーシャルスペースでもあったファクトリー(Factory)では、クイアたちのパフォーマンス作品「Camp」や「Vinyl」などの作品や、ルーリードやニコなどのスクリーンテスト作品が制作された。
美術館では、オリジナルの16mmフォーマットで一部が上映される

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、 ローリング・ストーンズのアルバムジャケット
©mashupNY

[上]1965年にはモデルのニコと、ロックバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のプロデュースを行う。

1968年 銃撃事件

1968年6月3日、ウォーホルは過激派のフェミニスト作家、バレリー・ソラナス (Valerie Solanas) に銃で撃たれ、重傷を負った。ソラナスは、ウォーホルの2本の映画に出演していた。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
©mashupNY

1972年 毛沢東ポートレイト

1972年2月、当時のニクソン大統領は、米国大統領として初めて中国を訪問し、毛沢東と会談。そのニュースを知り、ポートレイトMAO(1972)を制作した。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
Mao, 1972©mashupNY

1975年 レディース・アンド・ジェントルマン

1975年には、ニューヨークのドラァグクイーンとトランスウーマンを描いた作品「Ladies and Gentlemen」シリーズを作成。イタリア人のギャラリーオーナーはウォーホルに対し、匿名性をもたせたポートレートになるよう依頼した。色を手で重ね塗りするなど、絵画のような独特のテクスチャーとなっている。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
右下Ladies and Gentlemen (Marsha P. Johnson), 1975©mashupNY

[上]1969年のストーンウォールの反乱の中心人物のひとり、マーシャ・P・ジョンソン(Marsha P. Johnson)のポートレート。

1970-1980年代 スカル、抽象芸術作品

1970年代からは、頭蓋骨やハンマー、斧などをスタジオ撮影し、静物の影を強調した作品を作った。
1978年頃からは、影のみに焦点を当てた作品を100以上作成した。ポップを主題としたものから、純粋な抽象的なものへと脱却を図ったという。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
Skull, 1976©mashupNY

その後、70年代には、抽象画家のエルズワース・ケリー(Ellsworth Kelly)やバーネット・ニューマン(Barnett Newman)、アド・ラインハルト(Ad Reinhardt)らから多大な影響を受け、クロップ、アップスケール、単純化、ボカシ、歪み、抽象化、パターン化などを行った。特に晩年の10年間は、作品がより抽象化する傾向にあったという。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
©mashupNY

1968年から1987年には、ポートレートを作成。ビジネスマンからアートコレクター、ソーシャリスト、ファションデザイナー、モデル、王室、セレブリティなどありとあらゆるポートレートを作成した。

アンディ・ウォーホル・エンタープライズ

ウォーホルは、1979年から死去するまでの間、友人や著名人にインタビューしたテレビ番組「a fashion magazine on TV」全42エピソードをプロデューサーのヴィンセント・フリーモン(Vincent Fremont)とドン・モンロー(Don Munroe)監督と共同制作している。「Andy Warhol’s Fifteen Minutes (1985–87) 」は、MTVで全国放送された。

1969年に、自身が制作したダンダーグラウンド映画を宣伝し、文脈化するために雑誌「インタビューマガジン」を創刊。1972年には、編集者のボブ・コラセロ(Bob Colacello)や、アートディレクターのグレン・オブライエン(Glenn O’Brien)が加わり、セレブリティカルチャー誌として拡大した。表紙のイラストは、リチャード・バーンスタイン(Richard Bernstein)が手がけた。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
Interviewマガジンカバー©mashupNY

[上]アレサ・フランクリンや、スティービー・ワンダー、オノ・ヨーコ、リチャード・ギア、ジョン・トラボルタ、アーノルド・シュワルツェネッガーなどが表紙を飾った。

1981年 コラボレーション

ウォーホルは1981年、ジャン・ミッシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)や、フランチェスコ・クレメンテ(Francesco Clemente)、キース・ヘリング(Keith Haring)など若いアーティストと出会い共同製作を行った。この時、シルクスクリーン以前のハンドペイントで新しい作品を作っている。
日記には、バスキアやヘリングほか、ジェニー・ホルツァー(Jenny Holzer)、バーバラ・クルーガー(Barbara Kruger)、デイヴィッド・サレ(David Salle)、ジュリアン・シュナーベル(Julian Schnabel)、シンディ・シャーマン(Cindy Sherman)などの名前が記されている。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
Jean-Michel Basquiat and Andy Warhol, Paramount, 1984–85 ©mashupNY

カモフラージュ

エイズが蔓延する時代の初期に造られた作品は、闘争や精神的な犠牲、追悼を示す。同美術館は、死後まで明らかにされてこなかったウォーホルの宗教的慣習、ビザンチン=カトリック(Byzantine Catholic)と同性愛者の経験を持つ同氏の複雑性を示すものだろうと解説する。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
Camouflage Last Supper, 1986©mashupNY

[上]9メートルもの長さのレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』のカモフラージュや、『モナリザ』を題材とした作品。

アンディ・ウォーホル ホイットニー美術館
©mashupNY

Andy Warhol — From A to B and Back Again

期間:11月12日〜2019年3月31日
場所:ホイットニー美術館
住所:99 Gansevoort St, New York, NY 10014
whitney.org

Mashup Reporter 編集部
Mashup Reporter 編集部です。ニューヨークから耳寄りの情報をお届けします。