チャージングブル作者アルトゥーロ・ディ・モディカさん死去

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マンハッタンのフィナンシャルディストリクトにあるチャージングブル像を制作したアーティスト、アルトゥーロ・ディ・モディカ(Arturo Di Modica)さんが19日、 イタリアのシチリアで死亡した。80歳だった。ディ・モディカ氏は長年、がんを患っていたという。

1941年1月、シチリアのビットリア(Vittoria)で生まれたディ・モディカ氏は、1973年にニューヨークに移住。ソーホーのグランドストリートスタジオを構えた。

像は1989年12月16日、証券取引所前に許可なく設置した。重さは3.5トンで、制作に35万ドルを要したという。

無許可であったものの、1987年の株価大暴後の金融復活のシンボルとして多くの人々から支持されたため、現在のボーリンググリーンの場所で継続設置されることとなった。現在は観光客に人気の撮影スポットとなっている。

ディ・モディカ氏が今月頭、地元紙La Repubblicaに語ったところによると、像は40人の友人と、クレーンとトラックを使い、証券取引所の前に設置した。警察が頻繁にパトロールしていたため、わずか5分で設置したという。当日、予定の場所にクリスマスツリーがディスプレイされており驚いたが、そのまま像を置き、祝いのシャンパンを開けたなどのエピドードを語っている。

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フィアレスガール騒動

2017年、国際女性デーの3月7日、ブルの正面に突如「フィアレスガール」(Fearless Girl)像が設置されると、ディ・モディカ氏は記者会見を開き、作品の持つメッセージが歪められたと反発。著作権を侵害したとして、取り除くよう訴えた。

少女像を設置したのは、ボストンの投資会社ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズとニューヨークの広告代理店マッキャン。像には、金融業界をはじめとした各産業におけるジェンダー・ダイバーシティの重要性を訴える意味が込められている。
設置直後からブルに毅然と対峙する姿が、男性優位社会の変革の必要性をうまく表現しているとして、大きな反響をよんだ

ディ・モディカ氏は会見で、ブルは「世界の自由、平和、強さ、愛の力だ。しかし、少女像がやってきた今は、悪くて脅威の象徴、ネガティブなものになった」と主張し、投資会社による「広告による奇策」だと批判した。

デブラシオ市長は少女像の継続設置を支持した。その後、少女像の設置場所は、交通などの問題から、証券取引所の前に移動された

2019年9月には、テキサス州から来た男がブルを破壊する事件が起きた。この時ディ・モディカ氏は、像を自ら修復するため、イタリアからニューヨークを訪れていた。

Mashup Reporter 編集部
Mashup Reporter 編集部です。ニューヨークから耳寄りの情報をお届けします。