リンドバーグ愛児誘拐殺人事件 真犯人をめぐる恐ろしい説とは

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無着陸での大西洋無横断を初めて成功させた国民的ヒーロー、チャールズ・リンドバーグの息子が誘拐され殺害された約100年前の事件。ここにきて再捜査を求める声が高まりつつある。

デイリーメールによると、20日、ベイエリアのサンラファエルのマリン郡裁判所で模擬裁判が開かれ、陪審役らは1936年に死刑に処されたドイツ系移民の大工、リチャード・ハウプトマンの無実の罪を晴らし、捜査を再開することに38対5の賛成票を投じた。

模擬裁判を組織したカリフォルニア州の元判事、リース・パールマン氏は、ニュージャージー州が捜査を再開し、真犯人の追及に向け新たな証拠を精査、DNAテストを実施すること望んでいると語っている。

生後20ヶ月だったリンドバーグ夫妻の息子、チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ・ジュニアちゃんがニュージャージー州の自宅2階から姿を消したのは1932年3月1日。直ちに州警察による捜索が行われ、窓枠に5万ドルの身代金を要求する手紙が見つかった。その後立て続けに手紙が送られ、夫妻は5万ドルの身代金を支払ったが、10週間後にチャールズちゃんは無惨な姿で発見された。

FBIによると、遺体はリンドバーグ邸から南東に7キロメートルほど離れたハイウェイ近くで、トラック運転手の助手によって偶然発見された。部分的に埋もれ腐敗が進んだ状態だった。頭部は粉砕されて頭蓋骨には穴があり、体の一部が欠けていた。リンドバーグの子供であると特定され、翌日に火葬された。検視の結果、遺体は死後2ヶ月が経過し、死因は頭部への強打とされた。

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ハウプトマンが逮捕されたのは、事件から約1年半後の1934年9月。身代金の番号と一致する10ドルの金証券が、ニューヨークでガソリンを購入するために使用されたことがきっかけとなり、ライセンスナンバーからハウプトマンが割り出された。家宅捜索ではガレージから身代金に使用された金証券13,760ドルが発見された。ただし、ハウプトマンは、ドイツで死亡した男性から保管するよう求められたものだと供述していた。

翌月に殺人罪で起訴され、5週間にわたる審理の末、1935年2月に有罪評決を受け死刑を宣告された。ハウプトマンは最後まで無実を主張し州最高裁まで争ったが、最終的に却下された。電気処刑が実施されたのは1936年4月3日だった。

前出のパールマン氏は、裁判は過ちであり、真犯人はリンドバーグ本人だったとの考えを示している。

ニューヨークタイムズによると、2020年に「THE LINDBERGH KIDNAPPING SUSPECT NO. 1: The Man Who Got Away」を記したパールマン氏は、リンドバーグは、友人でロックフェラー医学研究所で働いていた外科医、アレクシス・カレル博士と共謀して、息子を実験に使ったのではないかと推測している。

臓器移植の先駆者であったカレル氏は1912年にノーベル賞を受賞。後にリンドバーグと共同で臓器の機能を体外で維持する装置「リンドバーグ・ポンプ」を開発した。

パールマン氏は、遺体が発見された森に血痕がなかったことから、別の場所で殺害された可能性があると考え、さらに遺体の状態や付近で発見されたアイテムに関する疑問がリンドバーグ真犯人説を考えるきっかけになったとしている。ニュージャージー州の病理学者ピーター・スペス博士の協力のもと、犯行現場と解剖の記録を評価したところ、幼児の心臓と肝臓以外の臓器がすべて欠損していることが判明したという。

なお当時の捜査では、誘拐現場に指紋が残されておらず、大人5人と犬がいる家の二階からハウプトマンが幼児を誘拐する計画をどのようにし得たのか、自白どころか説明もなかったという。

パールマン氏の説では、頭が異常に大きく、くる病に関する薬を処方されていたリンドバーグの息子は、優生学を信仰し、親ナチスとも疑われた父親らから「消耗品」とみなされていた可能性があった。パールマン氏は、心臓弁を損傷した義理の姉を持つリンドバーグが、医学的進歩を期待して息子の臓器を摘出した「恐ろしい可能性」があると主張している。

デイリーメールの取材では、遺体発見の日に火葬を指示した点にも疑問を呈した。事件発生時に家にいたにもかかわらず、疑われなかったのは英雄だったからとの考えを示し、「彼はアメリカのヒーローだった。彼らは裁判中に彼を検察側に同席させさえした。…彼は息子を恥ずかしがっていた」と語っている。

Mashup Reporter 編集部
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