映画『暗殺の森』や『ラストタンゴ・イン・パリ』、『ラストエンペラー』などで知られるイタリア映画界の巨匠ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)監督が26日、ローマの自宅で死去した。77歳だった。妻のクレア・ペプロー(Clare Peploe)さんが明らかにしたもので、死因は明かにされていない。
清朝最後の皇帝、溥儀(フギ)の生涯描いた1987年公開『ラストエンペラー』(The Last Emperor)では、作品賞や監督賞などノミネートされた全9部門でアカデミー賞を受賞した。
ベルトリッチ監督の最も有名な作品の一つ『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)は、公開直後イタリアで上映が禁止されるなど、激しい性的暴力の描写が世界中で物議を醸した。
米国ではX指定(R18+)を受けたが、1972年のニューヨークフィルムフェスティバルでプレミア公開され、3,600万ドルの興行成績を記録した。
NYタイムズによると映画は賛否両論で「これまで最もパワフルでエロチックな映画」(Pauline Kael)と評価される一方、多数の女性のヌードシーンは「男性優越主義者の慣例」(Judith Crist、NYマガジン)と「完全な男性的ソープオペラ」(Grace Glueck、NYタイムズ)との見方をする批評家もいたという。
イタリアでは、作品のわいせつ性を巡る裁判が行われ、イタリア最高裁判所は1976年ベルトリッチ監督に全ての複製品を破棄するよう命じ、4ヶ月の執行猶予の判決を下した。近年では、撮影当時19歳だった故マリア・シュナイダーさんの合意なしに故マーロン・ブランドによるレイプシーンが撮影された疑惑が浮上し、再び大きな議論に発展していた。
ベルトルッチ監督は、1941年3月16日イタリアのパルマ市で、著名な詩人かつ映画批評家の父親と、文学教師の母の元に間に生まれた。1961年、20歳の時に家族の友人でもあったピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)監督の『アッカトーネ』(Accattone)の製作に携わった後、ローマ大学を中退。1962年には詩集がヴィアレッジョ賞(Viareggio Prize)を受賞し、詩人として成功するも映画界の道を進んだ。
娼婦の殺人を描いた長編映画『殺し』(The Grim Reaper)で映画監督デビュー。同作品は1962年、ヴェネチア国際映画祭でプレミア上映された。その後、1964年に『革命前夜』(Before the Revolution)を発表。
1970年の『暗殺のオペラ』(Strategia del ragno)とムッソリーニ時代を描いたアルベルト・モラヴィアの小説を原作とした『暗殺の森』を発表。同作品は全米映画批評家協会賞の監督賞を受賞し高い評価を受けた。この2作品から撮影監督ヴィットリオ・ストラーロ(Vittorio Storaro)を起用している。ベルトルッチ監督は、20代から30代はイタリア共産党のメンバーであったが、その後左派に転向した。
異なる階級に生まれた2人の男性を中心に、20世紀初頭のイタリア社会を描いた『1900年』(1900)は、5時間半もの大作映画となった。ロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューが出演した。
その後、アカデミー賞作品賞を含む9部門を受賞した『ラストエンペラー』や、1990年公開『シェルタリング・スカイ』(The Sheltering Sky)、1993年公開『リトル・ブッダ』(Little Buddha)など東洋を舞台とした作品を製作した。
ギルバート・アデア(Gilbert Adair)の小説を原作とした2003年公開の『ドリーマーズ』(The Dreamers)では、5月革命時代のパリを舞台とした映画を製作。遺作となった2012年公開の『孤独な天使たち』(Me and You)では、健康状態が悪化していたため、車椅子に座ったままメガホンを取った。