CIA衝撃のマインドコントロール実験「MK-ULTRA」 資料が新たに公開

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非政府組織ナショナル・セキュリティ・アーカイブは23日、CIAが冷戦時代に実施した薬物や電気ショック、催眠を用いたマインド・コントロール技術の研究に関する新たな資料を公開した。

1953年から1964年までコードネームMK-ULTRAの下で進められた極秘プロジェクトは、その前身となったARTICHOKE、BLUEBIRD、MKNAOMI、MKDELTA、MKSEARCHなどさまざまな姉妹プロジェクト、後継が存在する。公開資料は1200の記録から成り、こうした関連プロジェクトの記録が含まれる。出典の多くは、元国務省職員で1979年に情報公開法に基づいて獲得した資料を元に「The Search for the Manchurian Candidate」を記したジョン・マークスから寄贈されたものであるほか、1953年にLSDを投与された10日後にマンハッタンのビルの10階から転落死したフランク・オルソンの遺族に対してCIAが公開した資料もあるとしている。

当初、ソ連のマインドコントロール技術に追いつこうと始まったプロジェクトは、後に規模が拡大し、最終的に数千人に対する違法な薬物テストが実施された。

1950年4月にBLUEBIRDプロジェクトの予算申請に関して提出された資料には、尋問で良い結果を得るためにパーソナリティ・コントロール技術への組織の関心の高さが示されている。また、それは1949年にハンガリーの裁判で反逆罪を自白したヨゼフ・ミンゼンティ枢機卿から派生したものだと説明されている。

なお、ジョン・マークスによるとブルーバードの承認から3ヶ月後、最初のチームが日本に赴き、二重スパイと疑われている人物を対象に実験が行われた。CIAのチームは、現地の米軍当局者にも真の目的を明かさず、ただ「集中的なポリグラフ」の作業に関するものだと告げていた。4人の被験者に対して鎮静剤のアミタールナトリウムと覚醒剤のベンゼドリンの併用が試され、そのうちの2人には 覚醒剤であるピクロトキシンも投与された。記憶喪失を誘発しようとしたともされる。

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プロジェクトは時に無知な市民まで対象としていた。

Document5とラベルされた資料は、麻薬捜査官のジョージ・ホワイトが1952年に作成した日記帳の一部で、MK-ULTRAを主導したCIAの化学者シドニー・ゴットリーブとの会議内容が記されている。「ゴットリーブは私にCIAのコンサルタントになるよう提案した」と書かれている。

ホワイトはモーガン・ホールという偽名を使用し、ニューヨークとサンフランシスコのアパートに監視装置や監察室を設け、市民にLSDなどの薬物を密かにテストする計画を実行した。

後に実施された議会調査における証言によると、最盛期には149のリサーチが進行し、80の大学や研究機関、200人近くの科学者が関与していた。

このうちの一人、エモリー大学のカール・ファイファーはアトランタやニュージャージで囚人に対してLSDをはじめとする薬物実験を行い、薬物の調合、使用、効果に関するデータを MKSEARCH プログラムに提供した。公開された資料に含まれる1956年のメモには、ゴットリーブが、エモリー大学のカール・ファイファーが主導した関連プロジェクトに承認を与えたことが示されている。

このほか、ロシアの二重スパイ疑惑のある人物二人に対して行った薬物と催眠を合わせた尋問の成果に関する報告書、1963年にプロジェクトを審査したCIAの監察総監が無知な市民に対する薬物実験の中止を勧告する一方で、外国人に対して継続できることを明確にした内容のある文書なども公開されている。

1970年代中盤にジャーナリストや議会の調査によって明るみに出た違法プロジェクトは、米国が後にベトナム、ラテンアメリカ、アフガニスタン、イラク、グアンタナモ、その他海外の秘密の拘留施設で使用した技術発展に貢献したとされる。ナショナル・セキュリティ・アーカイブは一連の文書が、行動科学の歴史研究に新たな光を当てるとともに、CIA初期や主要人物の研究にとって価値あるものだとしている。

Mashup Reporter 編集部
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