「ムーミン」と聞いて思い浮かぶのは、可愛らしいキャラクターたちや、ほのぼのしたムーミン谷の日常──そんなイメージを抱く人が多いかもしれない。しかし、原作はそんな印象から程遠い、「終末や崩壊を描いた怒りの物語」が潜んでいるのだという。
作家で批評家のフランシス・ウィルソン氏が英誌『ニュー・ステーツマン』で記したところによれば、ムーミンの原作者トーベ・ヤンソン氏が最初の作品『小さなトロールと大きな洪水』(1945年に出版)を書いたのは、1939年の冬。ソ連軍がフィンランドに侵攻した年だった。
その頃、ヤンソン氏は友人への手紙にこう綴っている。
「爆弾が悲しくて怖くて、陰鬱な考えから逃げ出したかった時……私は、すべてが自然でフレンドリーな信じられない世界に潜り込んだの」
ムーミンたちが暮らす場所は、そんな彼女の“逃げ場”だったのかもしれない。
ウィルソン氏によると、最初の物語では、ムーミン一家が行方不明のムーミンパパを探して旅をし、小さな家にたどり着く。けれどその家は洪水に飲まれ、谷へと流されていく。そこから新しい暮らしが始まる。第2作『彗星追跡』(1946年)では、火の玉がムーミン谷に迫り、ムーミンたちは洞窟で「絶滅」を待つ。この話は、ソ連のヘルシンキ爆撃やアメリカによる日本への原爆投下に対するヤンソン氏の反応なのだという。
『ムーミン谷の冬』(1958年)は、ウィルソン氏が「20世紀文学の中でもっとも悲惨な鬱の描写がある」と語る一作。ヤンソン氏自身が、自らの創作物に「吐き気」を催した頃に書かれた作品だという。ウィルソン氏の解説は以下のとおり。
「毎年恒例の冬眠から早く目覚めたムーミントロールは、雪に閉ざされ、快楽の原則が消失した異質な世界で完全に孤独になっている。この作品以降、ムーミンシリーズはより暗くなっていく。『ムーミンパパ海へ行く』(1965年)では、家族関係が完全に崩壊する。ムーミンパパが自分を失敗した芸術家だと悟り、一家をムーミン谷から離れた無人島へ連れて行く。島は”完全に静かで恐ろしく寒い”場所で、そこで彼は波をコントロールしようとする中で正気を失っていく。一方、ムーミンママは、ムーミン谷の壁画に隠れ、タツノオトシゴに恋をし、深く落ち込んだムーミントロールは、地面の一角に眠りの場所を見出す。その間、島は不幸によって縮んでいく」。
ウィルソン氏は、こうした「黙示録、崩壊、機能不全の複雑な物語」が長い間「家庭生活の愛らしい賛歌」として受け止められてきたこと自体が、「ムーミン現象の最も奇妙な側面」と指摘する。
今年はムーミン小説の第1作が出版されてから80周年。アニメと違う“もうひとつのムーミン”を探ってみるのも面白いかもしれない。