1969年6月28日早朝、ニューヨーク市警察がウエスト・ヴィレッジのゲイバー「ストーンウォール・イン」に踏み込み捜査を行った。店内にいた客と複数人の警察官が衝突。
ゲイをターゲットとした警察による度重なるハラスメントに不満を募らせていたコミュニティーの怒りは、暴動へと発展した。
当事者が語るストーンウォールの反乱
当時18歳で、警察が踏み込んだ時、バーにいたマーク・セガール(Mark Segal)さんは、ABCニュースに対し「1950年代は、誰もゲイであってはならない雰囲気の社会に直面していた」と述べ、「しかし私たちは違う世代で、前の世代に従わなかった。」と語った。
セガールさんは、のちにLGBTQ活動団体「ゲイ解放戦線」(Gay Liberation Front、GLF)の最年少メンバーに加わり、活動家として戦った。
セガールさんは69年春、フィラデルフィアからニューヨークにコミュニティを求めて転居した。ストーンウォール・インについて「そこは素晴らしい場所だった。オープンになることができた。私たちは自分自身になって、ダンスしたり、ハグしたり、キスをすることができた。自分が誰であるかを公にすることができたんだ。」と述べた。
当時は、社会や法制度はLGBTQの人々にとって、非常に敵対的だった。ニューヨーク市は、ゲイの人々にアルコール飲料を提供したバーからライセンスを剥奪し、定期的に違法店の踏み込み捜査を行っていた。
ストーンウォール・インは1969年にマフィアが所有。警察に賄賂を支払うなどして、リカーライセンスのないバーを違法に経営してきた。
セガールさんは「マフィアはゲイを使って金儲けをしていた。おかしいと思うだろうが、少なくともそこは、我々にとって安全な場所だった。」と語っている。
同じくその夜、バー近くにいたジム・フォーアット(Jim Fouratt)さん(のちに「ゲイ解放戦線」の共同創設者となる)によると、ストーンウォールの反乱は、28日の夜、突如勃発したという。
一部の情報によると、その日は「クイーン」ことトランスジェンダーのマーシャ・P・ジョンソン(Marsha P. Johnson)の誕生日会が行われていた。
警察官はバーに押し入り、当時違法とされていた、異性の衣類を身に着けた人々を逮捕し始めた。外には、警察車両が止まっており、約30-40人が集まっていたという。客の一人が警察官に怒鳴り返した後、誰かが空き缶を投げ、窓が割れた。警察も応援部隊を呼び、靴やレンガ、カクテルなどが投げつけられ、収拾がつかなくなり、暴動に発展したという。
ストーンウォールの反乱については、当時ほとんどメディアで報じられていない。しかし、セガールさんは「歴史的な反乱であり、重大な分岐点ともいえる瞬間だった」とその意義を振り返る。
「反乱は、暴力的で怒りに満ちていたが、私たちは喜びを感じていた。我々は今までにやったことのない反撃を行ったのです。その夜はとても幸せでした。」とこの日を境に全てが変わったと述べた。さらに「私たちは、2000年間の束縛を打ち壊す決意をしました。あの夜、警察は、宗教や家族、教会、私たちを忌み嫌う社会すべてを意味していた。ゲイであることに誇りを持とう、と大声で叫びました。」と語った。
ゲイの人権団体は以前から存在していたが、ストーンウォールの反乱後、ニューヨークでは「ゲイ解放戦線」(GLF)や「ゲイ活動家同盟」(GAA)などが相次いで誕生した。
セガールさんは「ゲイ解放戦線はストーンウォールの灰の中から生まれた」と表現する。
フォーアットさんも「我々は、法の下で平等に扱われたかった。そうでなければ、変えなければならない。」と述べた。
ゲイパレードの誕生
ストーンウォールの反乱から1年後の1970年6月28日、活動団体は「クリストファー・ストリート・リベレーション・マーチ」を開催した。許可を得ず、マンハッタンからセントラル・パーク間の行進を行った。
セガールさんは「団体はこの1年間、コミュニティーを解放し、ここは我々の場所だ、これが私たちだと主張し、警察と戦ってきた。このことを私たちは祝いたいと思っていた。」とマーチ開催のきっかけを述べた。
マーチは、わずか数百人の参加者から始まった。NYタイムズは5,000人が見学に訪れたと報じたが、実際は1万5,000人ほどいたと思うとセガールさんは振り返る。
多くの人が現れ、ぞくっとした感覚が起こった。それは素晴らしいものだった。不安はあったが、とても勇敢な行動だったと述べた。
2017年には210万人の観衆がプライドマーチに訪れた。50年目を節目を迎える今年は、300万人の観客が予想される。
ストーン・ウォールインは現在もバーとして営業を続ける。2000年には、国定歴史建造物(National Historic Landmark)に指定された。
2016年、オバマ前大統領によって、クリストファー・ストリートの一帯「ストーンウォール・プレイス」(Stonewall Place)が米国で初めてLGBTQナショナル・モニュメント(国定文化遺産保護地域)に指定された。
2015年、米連邦最高裁判所は、同性婚を禁じる州法を違憲とし、同性婚は全米で合法化された。
今年、NYPDトップのジェームズ・オニール(James O’Neill)警察委員長は、1969年の踏み込み捜査に対し、その行為と当時の法律は差別的かつ圧政的であったことを認め、初めてLGBTQコミュニティーに公式謝罪した。
いまだ28州でLGBTの人々を仕事や住居、公共施設などにおける差別から保護する法律は制定されていない。平等を求める戦いは今も続いている。