18日、トランプ大統領の指令に基づき、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件に関する新たな資料が公開された。
デジタル化されていないものを除く一連の資料は国立公文書館のウェブサイトからアクセス可能で、公開された資料は6万3,400ページに及ぶ。「これまで機密扱いのため保留されていたすべての記録」とされている。
1963年11月22日、ケネディ大統領はテキサス州ダラスを車列で通過中に暗殺された。同日、元海兵隊員リー・ハーヴェイ・オズワルドがライフルによる射殺容疑で逮捕されたが、オズワルドはその2日後、刑務所への移送中にナイトクラブ経営者ジャック・ルビーによって射殺された。事件一週間後に設立されたウォーレン委員会は、オズワルド単独犯行との結論を下した。ただし、調査の正確性には疑問点も多く、60年以上が経過した今も、大多数のアメリカ人はオズワルドによる単独犯行ではなく、大統領暗殺の陰謀に他者が関与したと信じている。ケネディ大統領の政策に不満を抱いたCIAやキューバ亡命者、またはマフィアの関与を疑う声もある。ケネディ氏の甥でトランプ政権で閣僚入りしたロバート・ケネディ・ジュニア氏は、対キューバ工作に従事したCIAの将校らが関わったと主張している。
新資料の重要性や価値については、今後時間をかけて専門家や研究者らによる検証が進められると見られるが、ネットではさっそく一部の資料がシェアされ話題になっている。
保守派の政治活動家、チャーリー・カーク氏などが拡散し注目を集めている資料には、1967年に雑誌ランパートに掲載された記事が引用され、事件から数ヶ月後に死亡したCIAの元エージェントが、組織の関与を打ち明けていたとする内容が示されている。
それによると、元諜報員のゲイリー・アンダーヒル氏は、事件の翌日、自宅のあるワシントンを急遽離れてニュージャージー州にある友人宅に姿を現した。アンダーヒル氏は「非常に興奮した」状態で、「CIA内の小さな派閥」による犯行だと打ち明けた。その派閥は「銃や麻薬、その他の密輸」により儲けており、これを察知したケネディ大統領が告発する前に殺害したのだと説明したという。
命の危険を感じたアンダーヒル氏は国外に逃げなければならないと考えていたが、6ヶ月後にワシントンのアパートで銃弾を受け死亡しているのが発見された。検視官は自殺と断定したが、納得できるものではなかった。左耳の後ろから撃たれ、遺体の左側に自動拳銃が置かれていたが、アンダーヒル氏は右利きだった。遺体を発見したニューリパブリックのライターは、サイレンサーを使用したのではないかと考えたという。隣人で銃声を耳にした者がおらず、発見時、遺体は死後数日経っていた。
もう一つネットに拡散されて話題になったのは、セルジ・チョルノフというカリフォルニア在住の男性が、1978年にマサチューセッツ州にある英国大使館に送った手紙だった。
チョルノフ氏はその中で、1963年にロンドンの空港で拘束された際、オーストリアのロシア大使館で何を見聞きしたかについて尋問を受けたと説明。自分は当局者に対して、アメリカに戻ったロシアの亡命者(リー・ハーヴェイ・オズワルド)が、ケネディ大統領を殺害する準備をしていると聞いたと告げたと説明した。同氏はまた、米国副領事に警告したとも明かしている。
こうした資料の内容の信憑性は定かでない。前者にいたっては、雑誌に掲載された内容であり、未公開の情報とは言えないと批判する声も上がっている。