20年近くにわたり大学や航空会社に爆弾を送りつけ、3人を殺害、23人を負傷させた「ユナボマー」ことセオドア・カジンスキー受刑者(79)が、最高警備体制の刑務所から、医療センターに身柄を移された。
米連邦刑務所局の広報担当、ドナルド・マーフィー氏によると、移送されたのは今月14日で、移送先はノースカロライナ州東部、グランヴィル郡ダーハムの近くにあるバトナー連邦医療センター。受刑者の健康状態や移送の理由については明らかにされていない。
連邦刑務所局によると、同医療センターはがん治療、手術、神経診療、人工透析などの医療行為を行う受刑者向けの施設。2010年には、患者のヘルスケア計画を請け負うアドバンス・ケアおよび、末期患者の緩和ケアを行うホスピス部門も開設した。
センター内には現在771人の受刑者がおり、連続殺人犯として知られるジョン・ヒンクリー・ジュニア受刑者のほか、今年4月に死亡した、「ポンジスキームの帝王」ことバーニー・マドフ受刑者も収容されていた。
連続爆弾事件
カジンスキー受刑者はハーバード大を卒業後、1978年から1995年にかけて、米国内各地へ16回にわたって自作の爆弾を小包で送りつけ、計3人を殺害。23人にけがを負わせた。1996年にモンタナ州西部にある自身の小屋に潜伏していたところを逮捕された。
最初の犯行は1978年。イリノイ大学で小包が発見され、返却先として記載されていたノース・ウエアスタン大学の教授の元へと送られ、爆発した。以降1995年までに計16回の犯行を重ねる。1979年には、アメリカン航空機の爆破テロを企て、飛行中の機内で爆発を起こして航空各社や配送各社をパニックに陥れた。
FBIは、1979年にATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局 )の特別捜査官と郵便監察官とともにタスクフォースを結成。大学(UNiversity)と航空会社(Airline)の爆破(BOMbing)を狙った事件であることから、コードネームが「UNABOM」とされた。
難航した捜査を打開に導いたのは、1995年に犯人から送られた論文だった。3万5,000字におよぶ手紙の中で、犯行の動機や現代社会に対する考えが記されていた。FBIはこれを公開することとし、ワシントンポスト紙に掲載された。
容疑者として数千人が浮上したが、弟のデビッド・カジンスキー氏から提供された情報が、犯人像と一致。さらにデビッド氏が提出した兄の手紙や資料を言語解析にかけた結果、論文とほぼ同一人物と特定された。
1996年4月3日、17年におよぶ捜査の末、モンタナの山奥にある小屋でカジンスキーを拘束した。中から、爆弾実験や自らの犯行を綴った4万ページの日記や爆弾が見つかった。
裁判では受刑者の日記が公開され、動機について「単純に個人的な復讐である」と結論づけられた。日記には、「自分の嫌いな人間を殺すことをいつも夢見ていた。政治家や警察、コンピューター科学者や樹木園にビールの空き缶を置きっ放しにする騒がしい大学生、その他いろいろだ」などと書かれていた。
司法取引に応じて、有罪を認め、死刑を免れる代わりに、仮釈放なしの終身刑を言い渡された。
これまで、コロラドスプリングス南方の砂漠にある警備レベルが「スーパーマックス」とされる国内唯一の刑務所、ADXフローレンスに収容されたていた。