リノベーションのため一時閉館が発表されたイースト・ヴィレッジのナイトクラブ、ウェブスター・ホール(Webster Hall)。1886年に建設され、ニューヨークの歴史建造物としても認定されている。125年以上にわたって、禁酒法や大恐慌などアメリカの歴史とともに、イースト・ヴィレッジのカルチャーを創り上げてきた伝説のホールをご紹介。
ウェブスター・ホールとは
移民や労働階級の人々のコミュニティの場として設立
ウェブスター・ホールは、1886年、ポーランド生まれで、葉巻の会社を経営していた、チャールズ・ゴールドスタイン氏(Charles Goldstein)の依頼により建設された。1910年代には、移民や労働者階級の人々、労働組合、リベラル派による集会が開催されていたという。
禁酒法時代から大恐慌時代
1920年までには、当初の目的とは異なり、酒場やパーティ会場として有名となっていく。ニューヨーク初のドラッグパーティーや、ボヘミアンたちの仮面舞踏会などパーティが行われ、「Devil’s Playhouse」(悪魔たちの劇場)とも言われていた。社会からの疎外感を感じていたLGBTQの人にとっては、重要なコミュニティーとなっていたようだ。F・ スコット・フィッツジェラルドも出入りしていたと言われている。また、警察の出入りも頻繁で、営業停止になることもあった。
1920-30年代の禁酒法時代には、「speakeas」(スピークイージー)として、アルコールを販売する場所の一つとして繁盛した。20年代には、かの有名なイタリア系ギャング、アル・カポネ(Al Capone)がホールを所有していたという噂も。
1920年代に、映画にもなったマサチューセッツ州での冤罪(えんざい)とみなされている事件、「サッコ・ヴァンゼッティ事件」(Nicola Sacco and Bartolomeo Vanzetti)でニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティの2人を擁護する団体が、裁判の前に集いミーティングを行っていた。
1911、1930、1938、1949年と過去に4度の火災を起こしている。タバコの火が原因となった1949年の大規模な火災は、2日間燃え続け、ほとんどの屋根や内装は消失した。
1950年の大恐慌時代や第二次世界大戦後には、盛大なパーティこそ行われなくなったが、ティト・プエンテ(Tito Puente)やティト・ロドリゲス(Tito Rodriguez)らのラテン音楽のミュージシャンが活躍した。
レコードスタジオへ
1953年には、RCAレコード(RCA Records)が建物を買い取り、レコーディングスタジオとなった。オーケストラの音楽は、ステージで行うライブでレコーディングされており、ステレオ録音の技術が飛躍的に進化した。
エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)が、大ヒットシングル「ハウンド・ドッグ」(Hound Dog)のレコーディングを行ったのもこのスタジオ。1956年にレコーディングされた音楽は大ヒットした。ハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)、トニー・ベネット(Tony Bennet)、フランク・シナトラ(Frank Sinatra)、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)ら有名アーティストのレコーディングが次々と行われた。
1962年には、若きボブ・ディラン(Bob Dylan)は、ハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)のアルバム「Midnight Special」(ミッドナイト・スペシャル)で、ハーモニカの演奏で、自身初となるレコーディングに参加していいる。
ブロードウェイのレコーディングにも使用されており、ジュリー・アンドリュース(Julie Andrews)、エセル・マーマン(Ethel Merman)、「Hello, Dolly!」(ハロー・ドリー!)のキャロル・チャニング(Carol Channing)、ライザ・ミネリ(Liza Minnelli)らがレコーディングを行っている。
また、ベネズエラ出身の指揮者、アルデマーロ・ロメロ(Aldemaro Romero)のデビューアルバム「Dinner in Caracas」も収録された。
RCAレコードのスタジオは、1968年まで続いた。
「The Ritz」時代
1980年に、ホールの名は「The Ritz」(リッツ)に改められ、ロックンロールミュージックのライブ会場として有名となる。U2とデペッシュ・モード(Depeche Mode)は、ともにリッツでアメリカでのステージデビューを果たした。スティング(Sting)も1985年に初のソロライブを実施している。
ミュージック界のレジェンドたち、エリック・クラプトン(Eric Clapton)、プリンス(Prince)、メタリカ(Metallica)、エアロスミス(Aerosmith)、キッス(KISS)、ガンズ・アンド・ローゼズ(Guns n Roses)、Iggy Pop(イギー・ポップ)、ティナ・ターナー(Tina Turner)、ルー・リード(Lou Reed)らがパフォーマンスを行った。
ライブの他には、レスリングの試合が開催されたり、フジテレビの料理の鉄人(森本正治 vs ボビー・フレイ)などのイベントも収録されたりした。
1990年に、リッツは、伝説のディスコ、スタジオ54(Studio 54)があった場所、ウエスト54thストリートに移転する。
再び「Webster Hall」へ
1990年に大規模なリノベーションが行われた後、1992年に再オープン。名前は再び「Webster Hall」へと変更された。
1995年には、マドンナの新アルバム「ベッドタイム・ストーリーズ」記念して、MTVのスペシャル・コンサート「パジャマパーティー」が開催。
ニューヨークの著名なライブ会場、Bowery Ballroomともパートナーシップもあり、再び人気クラブとなる。リンキン・パーク(Linkin Park)や、ジョン・メイヤー(John Mayer)など人気アーティストがライブを行っている。
ノエル・ギャラガー
レニー・クラヴィッツ
メタリカ
ニューヨークのランドマークに
2008年にニューヨーク市歴史建造物保存委員会によって、歴史建造物(ランドマーク)に認定される。125年以上の建物だけでなく、イーストヴィレッジのユニークなカルチャーや政治、LGBTQの初期のムーブメントを現す重要な建築物として保存されることとなった。
オーナーが変更となり、再びリノベーションへ
2016年は、クラブ会場部門で世界No.2のチケット・セールスを記録するなど、ニューヨークで最も人気のあるライブ会場の地位を確立。10月には渡辺直美がWORLD TOURを行った。
2017年春、バークレイズ・センター(Barclays Center)などを経営するアンシュッツ・エンターテイメント・グループ(Anschutz Entertainment Group、AEG)がウェブスターホールを買収した。
大規模なリノベーションを実施するため、8月5日のライブを最後に一旦閉館すると、マネージャーのジェラルド・マクナニー(Gerard McNamee)氏がfacebook上で発表した。
「悲しいことですが、これは事実です。伝説でもあり、世界的にも有名なウェブスター・ホールは、この度売りに出されました。そして、最後の営業日は2017年の8月5日となります」とアナウンスし、「(ホールを25年間、経営してきた)Ballingers家と数々の素晴らしい思い出を残してくれたこの建物に敬意を表し、一つの歴史が終わる前に、ぜひ足を運んでください。」と述べている。
Webster Hall
住所:125 E 11th St, New York, NY 10003 地図