JFK暗殺:FBIが新文書を発見、CIA捜査官の謎の役割解明なるか?

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ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件に関する新たな機密資料の発見により、CIAの捜査官が果たした謎めいた役割が明らかになるかもしれない。

FBIが最近発見した2,400件の未公開記録は、これまで事件の調査・開示委員会に提供されていなかったものだ。この発見はAxiosが最初に報じており、長年の謎に新たな光を当てる可能性がある。

事件に関連するすべての記録は、1992年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺記録収集法に基づき、国立公文書館が一元的に管理している。500万ページを超える記録の大部分は公開されているが、専門家らの推定では、3,000件を超える記録が未公開のままとなっている。

トランプ大統領は先月発した大統領令で、国家情報長官に15日以内にケネディ大統領暗殺事件の全記録を解除する計画を提示するよう命じた。

FBIは新たに発見されたファイルにどのような情報が含まれているかは明らかにしていない。しかし、複数のCIA関連本の執筆を手がけ、ブログ「JFK Facts」を運営するジェファーソン・モーリー氏は、これまでに公文書館に引き渡されることがなかった「ジョージ・ジョアニデスのファイル」と「まったく同一」の可能性があるとしている。

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モーリー氏が、ジョアニデス氏に関連する記録の公開を求めて政府を提訴したのは2001年。当時、訴訟を支持する法的専門家らとともに発した公開書簡では、ジョアニデス氏の政府における活動は「ケネディ暗殺事件と関連している」とし、JFK大統領暗殺記録収集法の精神に乗っ取り、CIAと国防総省は記録を公開すべきであると訴えた。

公開の要求には、1976年から1978年にかけて暗殺事件を再調査した下院暗殺特別委員会の顧問弁護士、ジョージ・ロバート・ブレイキー氏も加わっていた。

書簡では、ジョアニデス氏の記録が収集法の範囲内とする根拠について、事件の3ヶ月前、CIAが活動を支援していた全米最大の反カストログループ「学生革命局 (DRE)」と、実行犯とされたオズワルドとの間に接触があったためであると説明。DREはジョアニデス氏の指導および監視下に置かれていたとした。

オズワルドとの接触後、DREは同氏を悪徳なカストロシンパであると公然と非難し、事件直後には報道機関にオズワルドの活動を詳細に語り、出版物を通じてオズワルドがカストロの代わりに暗殺したとする主張を広めたとの指摘も加えた。

さらに、下院暗殺特別委員会の調査でジョアニデス氏はCIAと議会の連絡係を務めたが、事件における自身の役割を議会に明らかにせず、委員会の調査を危うくしたと非難した。

ジョージ・ジョアニデスとは?

モーリー氏によると、1951年にCIAに入省したジョアニデス氏(1922 – 1990)は、アテネで約10年に及ぶ任務を経た後、当時のCIA副長官リチャード・ヘルムズの目にとまり、「キューバ共産党を混乱させ転覆させるための秘密作戦の実行のための予選240万ドルと24人のスタッフの監督」を任された。

その最重要任務が、打倒カストロの最前線に立っていたDREの統括だった。

DREとオズワルドの不可解な遭遇は1963年8月に起きた。オズワルドがニューオーリンズのDREの代表者に接触し、反カストロ派の戦闘員に軍事戦術の訓練を施そうと申し出た。しかし数日後、オズワルドは街角でカストロ支持のパンフレットを配布する。これを発見したDREと暴力沙汰となり、警察の介入を招いた。その後、ニューオーリンズのDREの代表者は8月21日のラジオ番組で、オズワルドに対してケネディ大統領の政策をめぐる討論を挑む。これを収めたテープはマイアミにあるDREの本部に送られ、DREが議会にオズワルドの調査を呼びかけるに至った。

この3ヶ月後に起きたJFK暗殺事件でオズワルドが逮捕されると、DREは直ちに報道機関を通じて再びオズワルドに対するキャンペーンを開始した。モーリー氏曰く「このようにして、CIA が資金提供する組織であるDREが、ケネディ氏はカストロ支持者によって殺害されたことを示唆するニュース報道の形成に一役買ったのである」。

「身代わり」にされたと主張したオズワルドは、事件から2日後の11月24日、刑務所に移送される様子を全国の視聴者が見守る中、マフィアと関係を持つナイトクラブのオーナー、ジャック・ルビーによって射殺された。

ジョアニデス氏がDREと引き続き協力する間、CIAの資金により発行されたDREの新聞では、オズワルドとカストロが「暗殺者だと推定される」という陰謀説を拡散し、学生指導者らは支部に対して、ローカルメディアを通じてオズワルドとカストロのつながりを広めるよう指示していた。

モーリー氏によると、CIAがDREを支援した1960年から1966年の間に作成された「月次進捗報告書」を政府のアーカイブから発見したが、事件の前後17ヶ月間の記録が抜けていた。この時期は、ジョアニデス氏が監督していた時期と一致するという。

事件の直後に調査を担った「ウォーレン委員会」は、調査報告書でDREについて言及しているものの、同グループがCIAから資金提供を受け、厳密に管理されていたことは知らされていなかった。1976年に発足した下院暗殺特別委員会で、CIAとDREとの関係についての質問に対応するよう任命されたジョアニデス氏について、CIA側は単に同機関の弁護士であり1963年に活動しておらず、事件と関わりがないと約束していた。

先述の公開書簡に加わった下院暗殺特別委員会の顧問弁護士ブレイキー氏は、モーリー氏に対して、ジョアニデス氏の役割は「できるだけ少なく、できるだけゆっくりと提供し、基本的に我々が終わるのを待つ」ことであり、それによって委員会のDRE関連の調査は「挫折」させられたと明かした。

CIAがジョアニデス氏を使って守ろうとした秘密は何か?モーリー氏は2023年11月のニューヨークマガジンの取材に対し、それはカストロ政権転覆計画以上の、「明らかに別の目的」があったはずだと語っている。