イーロン・マスクのルーツ?テクノクラシーを夢見た祖父の波乱万丈な人生

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天才起業家であり世界一の富豪として知られるイーロン・マスク。新たな挑戦としてトランプ政権下で設立された「政府効率化省(DOGE)」を率い、国家予算2兆ドル削減という大胆な目標を掲げている。支持者らは、アメリカファーストに沿わない無駄で不当な支出の排除、トランプ政策に抵抗する官僚の一掃などイデオロギー的側面での改革にも期待をかけている。その一方で、NASAや国防総省から10年間で100億ドル以上の契約を獲得しているスペースXとの関係から、利益相反への懸念も囁かれる。そんなマスク氏だが、この型破りなリーダーシップのルーツに、かつて技術者による統治という夢を抱いた祖父がいたことはあまり多く語られていない。

カナダ・カイロプラクティック界の立役者

Regina Leader Postによると、マスク氏の祖父、ジョシュア・ハルデマン氏(1902年~1974年)が最初に目指したのはカイロプラクターだった。その母アルメダ氏は、カナダで最初のカイロプラクターの一人だったという。カイロプラクティックの創始者D.D.パーマー氏が創設したアイオワ州のパーマーカイロプラクティック学校を1926年に卒業した後、サスカチュワン州で治療院を開業した。一時農業に手を染めたが立ち行かなくなり、1936年にカイロプラクティクターに復帰。その後の活動は、単に一施術師の枠に収まらなかった。カイロプラクターに法的保護を与える法案を起草し、成立に貢献したほか、カナダカイロプラクティック協会の前身となるカナダ・カイロプラクター連合会の設立に加わった。この間、国内初のカイロプラクティック大学の設立計画にも携わり、初代取締役会のメンバーに就任した。1942年に2番目の妻ウィニフレッドと出会い、マスク氏の母親メイ氏を含む5人の子供を授かっている。

トランプ領土拡大構想の先駆け?テクノクラシー運動を推進

カイロプラクティックの発展に貢献する一方、政治に熱心だったハルデマン氏は、大恐慌時代に北米で勢いを増したテクノクラシー運動に傾倒する。1933年にニューヨークで発足した教育研究組織「テクノクラシー・インコーポレイテッド」のカナダ支部のリーダー(1936年~1941年)となった。

テクノクラシー・インコーポレイテッドが1940年に発行した資料に、グリーンランドから北アメリカ、中央アメリカ、南アメリカの北部までが赤く塗られた地図がある。今年1月の就任後、米国の拡張主義を訴え始めたトランプ氏のアイデアを想起させないだろうか。

テクノクラシー・インコーポレーティッドは、テクノクラシー運動の指導者でエンジニアのハワード・スコット氏によって設立された。彼は、パナマから北極までの北米大陸全体を包含する「テクネート」の樹立を提唱し、自給自足可能な経済単位の形成を目指していた。

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スコット氏は、政治家ではなく、科学者や技術者などの専門家集団 – テクノクラート – による社会の管理を主張。彼らが資源、生産、分配を科学的に運営すべきだと考えた。

また、従来の「価格システム」を批判。豊富な資源と技術発展にもかかわらず、このシステムが人為的な希少性や経済的問題を引き起こしていると主張。代わりに、商品やサービスの価値をその生産に必要なエネルギー量に基づいて評価する「エネルギー価値理論」を提唱し、貨幣の代わりに、誕生から死亡まで全市民が利用できる「分配証明書」と呼ぶ、IDとキャッシュカードが一体になったようなシステムの導入も構想した。持続可能な経済のため、独特の労働スケジュール改革案も提示し、全市民が4日間連続で1日4時間働き、3日間休むシステムを提案するなどした。

こうしたアイデアは、ピーク時に25万人の会員を集めるほどの人気を博したともされる。ただしヨーロッパで戦況が悪化し始めた1940年、カナダ政府がテクノクラシーの禁止を発表。違法組織に所属することになったハルデマン氏は逮捕を経験するはめになった。当時キング首相は、テクノクラシーの目的は「政府と憲法を力で転覆すること」だと述べ、禁止を正当化したという。

大恐慌時に注目を集めたテクノクラシー運動は、1930年代半ばには衰退したという。1941年までカナダ支部のリーダーだったハルデマン氏は組織と国の両方に幻滅し、家族を連れて南アフリカへと発った。

リアル・インディアナ・ジョーンズ?

1950年に南アフリカに移住した理由について、息子のスコット氏は2017年のインタビューで、冒険への渇望だったと回想している。

小型飛行機とキャデラックを貨物船に乗せて、30日間かけてケープタウンにたどり着いた一家は、未開の荒野に何度も足を踏み入れた。カラハリ砂漠に出かけて「失われた都市」を探すなど、映画さながらの冒険を経験したという。「当時何もなかった」という現在のボツワナに当たる地域に16回も遠征し、茂みの中で1ヶ月間キャンプ生活を送ったり、夫婦で飛行機に乗ってオーストラリアまで3万マイルの往復飛行に乗り出したりしたこともあったという。

人種差別、陰謀論者との批判も

純粋な冒険への憧れだったとする説明に反して、移住の決断はアパルトヘイト体制を支持したからだとする批判もある。

マスク氏の父エロール氏は、昨年のYoutubeのインタビューで、「彼女(妻メイ氏)の両親がカナダから南アフリカにやってきたのは、アフリカーナーの政府に共感していたからだ」と説明。さらに「彼らはかつてヒトラーやその類のものを支持していた」と主張し、「しかしながら、彼らは実際にドイツ人やナチスが何をしていたのか知​​らなかったと思う。彼らはカナダでナチスの一部、カナダのドイツ党の一員で、ドイツ人に同情していた」と続けた。ただし、ハルデマン夫婦がナチス系の政党に所属したり、アパルトヘイトへの支持を理由に移住した証拠はないとも報じられている。なお、息子スコット氏は、父親は断固とした反ナチ、反社会主義者だったと振り返っている。

反ユダヤ主義、陰謀論に傾倒した疑いも浮上している。

ジャーナリストでハーバード大でジャーナリズムの研究を手がける「ニーマン・ラボ」の創設者、ジョシュア・ベントン氏は、2023年にアトランティックに寄せた記事「イーロン・マスクの反ユダヤ主義でアパルトヘイト好きの祖父」の中で、ハルデマン氏は数十年にわたって人種差別、反ユダヤ主義、反民主主義の見解を繰り返し表明した過激な陰謀論者だと指摘した。

同氏によると、ハルデマン氏はユダヤ人銀行家による「国際的陰謀」や彼らが支配する「有色人種の群れ」との戦いにおいて、アパルトヘイト下の南アフリカが「白人キリスト教文明」を導く運命にあると信じていた。1960年に自費出版した著書『国際的陰謀による世界独裁の確立と南アフリカへの脅威』の中では、南アフリカが「反キリスト教的、反白人的勢力」による攻撃の的となると主張し、白人キリスト教徒が団結して「真の敵」と戦う必要性を説いているという。また、1951年にカナダの新聞に書き送った原稿で、「原住民は非常に原始的で、真剣に受け止めてはならない」と差別的な主張を展開していたという。

ハルデマン氏は、1974年に飛行機事故を起こして72年間の生涯を閉じた。着陸の練習をしていた際に、電線にひっかかり飛行機がひっくりかえったのだという。スコット氏は、そんな父親の最期を「その方法でとても幸せだったと思う」と回想している。当時、マスク氏はわずか2歳だった。祖父の政治思想と結びつけるには幼なすぎるが、型破りなエンジニア気質は受け継いでいるのかもしれない。