「死の商人」ビクトル・ブートとは?米政府 ロシア拘束中のバスケ選手らとの囚人交換を提案

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現在ロシアに勾留されている米国人2名に関して、ブリンケン米国務長官が囚人交換をロシア側に提案したことを明らかにした翌日、ロシアのペスコフ大統領報道官は記者団に、交渉段階での発表はしないのが通例とした上で、最終合意は成立していないと述べた。

米側が交換を希望しているのは、米女子プロバスケットのブリトニー・グライナー選手と元海兵隊員ポール・ウィラン氏。AP通信が情報筋の話として伝えたところでは、米政府は、米刑務所に服役中の「死の商人」ことロシアの武器商人、ビクトル・ブート受刑者を二人とトレードする案を提示しているという。

グライナー選手は今年、モスクワの空港を訪れた際、大麻から抽出されるハシシオイルの入ったベイプカートリッジが発見されたとして、ロシア当局によって拘束された。現在ロシアの裁判所で審理が行われている。グライナー選手は罪を認めており、有罪となった場合、最大10年の禁錮刑が科される可能性があると伝えられている。なお米政府は、グライナー選手の状態を「誤って拘束された」としているが、根拠については示していない。

ウィラン氏は2018年12月、モスクワのホテルでスパイ容疑で拘束され、2020年に禁錮16年の実刑を言い渡された。

グライナー選手とブートの交換をめぐっては、テロリストグループに武器を売り、世界に危険をもたらしたブートとの交換は不釣り合いで、正当化できないといった否定的な意見も多い。ウィラン氏を追加した場合でも、司法省が反対するだろうと伝えられていた。

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「死の商人」ビクトル・ブートとは?

雑誌ニューヨーカーによると、タジキスタンの首都、ドゥシャンベで生まれ育ったブートは、18歳でソビエト軍に徴兵され、ウクライナ西部の歩兵旅団で2年間を過ごした。兵役終了後、モスクワにある軍事外国語研究所の入学を許可され、そこでポルトガル語を学んだ。専門家によると、研究所は、諜報職員の「繁殖地」ともいわれるという。元CIA職員は、ブートのこれらの経歴は「ソ連の外国軍事情報局または国防省参謀本部情報部」で働いたことを示しているとも指摘している。

1988年に研究所を卒業した後、ソ連の軍事顧問らとともに旧ポルトガル植民地のモザンビークに渡った。

ソビエトが崩壊した1991年にモスクワに一旦戻り、結婚。その後、妻を連れてアラブ首長国連邦のシャルジャ首長国に移り、航空貨物会社「Air Cess」を設立した。

武器密輸の世界に足を踏み入れたのは1995年頃だったという。

Time誌によると、ブートは旧式の軍用輸送機を購入し、軍隊のつてを使用してカラシニコフのライフルから無人航空機といったありとあらゆる兵器を調達。悪質な独裁政権やテロリストグループに販売することで、コンゴからコロンビアまで世界各地の紛争に関与した。

おとり捜査で逮捕、米国に身柄引き渡し

司法省によると、ブートは2007年11月から翌年3月の間、コロンビアの反政府組織「コロンビア革命軍」(FARC)に数百万ドルにおよぶ武器を販売することに合意した。これには地対空ミサイル800発、AK-47ライフル3万丁、弾薬1,000万発、プラスチック爆薬4トン、グレネードランチャーと無人航空機を搭載した超軽量飛行機が含まれていた。

しかし、交渉相手は、米麻薬取締局が用意したおとり達だった。

2008年3月にタイで行われた話し合いの中で、ブートはこれらの人物に、コロンビア上空でFARCに兵器を空中投下できると約束したほか、武器輸送に必要な貨物機2台の販売を持ちかけたという。さらに、販売した武器が、コロンビアで米国人に対して使用されることを理解し、「われわれの敵は同じだ」などと述べた。

さらに、米国に対するFARCの戦闘は、自分の戦いでもあると話し、「米国と10~15年間戦ってきている」などと告白したともという。

ブートは結局タイ当局に拘束され、5月に4件の罪で起訴された。2010年11月にニューヨークに身柄引渡しが実現した。

米国では2011年11月、米国人の殺害を共謀した罪や、外国のテロ組織に指定された集団に物理的な支援提供を計画したなどの罪で有罪判決を受けた。25年の禁錮を言い渡され、現在はイリノイ州にある警備レベルが中程度の刑に服している。

ちなみにブートは、2005年の映画「ロード・オブ・ウォー」でニコラス・ケイジ扮する武器商人ユーリ・オルロフのモデルとされている。

Mashup Reporter 編集部
Mashup Reporter 編集部です。ニューヨークから耳寄りの情報をお届けします。